アパートの前まで園バスが迎えに来てくれるのだが、毎朝毎朝グズグズで、送り出すまでが大変な騒ぎとなっている。
起きてくるし着替えもするのだが、最後にグズッてしまうのが、夏休み明けの傾向。
帰りはいつもニコニコで「楽しかった」という感想なのだが・・・。
全然ぐずらない日なんて、夏休みが終わってから1回もない。
2回くらいは泣く&叫ぶまでには至らずにバスに乗ったけど、それ以外は、のどちんこ丸見えの大きな口を開けて「ウギャーーー」「イヤだぁーーー」と叫びまくり泣きまくり。
大暴れの娘を抱きかかえ、息子を小脇に抱えて、外に出る。
娘を外に連れ出せず、園バスに乗ってきた先生に助けてもらったこともある。
怒りすぎてはいけないと思っていても、毎日毎日こんな調子なので、園バスの時間が近づいてくると、どうしても声は大きくなるし、最後には「いい加減にしろ」状態で怒ってしまう。
「行きたくないのには理由があるんだから、ムリに行かせなくていい」と、何かの本で読んだことがある。
「行かなくていいよ」と言ってあげるべきなんだろうか?
行きたくないのに「行ってきなさい」という私はオニなんだろうか?
考えると泣きたくなってしまう。
よく口にするのは「幼稚園のプールイヤだぁ」と「遅いお帰りイヤだぁ」。
夏休み中、実家の父や母に連れられて町民プールに出かけ、顔を水につけてバタ足で少し進むようにもなったし、潜ったりもするようになったというのに、どうしてプールがイヤなんだろう。
「幼稚園のプールは大きくてイヤだぁ」とも言うのだが、町民プールの方がずーっと大きいし、幼稚園よりも深さのあるところでも、楽しそうにバチャバチャやっていたのに・・・。
先週は、スイカ割りというイベントもあったのだが、それも「上手に割れるかわからないから、イヤだぁ」・・・そうしているうちに、「幼稚園行きたくないぃ」。
「ママも昔スイカ割りやったけど、割ったことないよ」とか「割れなくてもいいんだよ、割り過ぎちゃったらグチャグチャになって食べられないんだから」とか色々言ってみるのだが、その時は「そうなの?」と言うものの、またすぐに「でもやっぱりイヤだぁ」となってしまった。
年中の時にもスイカ割りがあって、その時には「少しだけ割れた」らしいのだが、「少ししか割れなかった」というような言い方もしていて、スイカがうまく割れなかったことがトラウマになっているのだろうか。
たかがスイカ割り、割れても割れなくても楽しいイベントのはずなのだが、娘には違うようである。
同じようにプールも、「あんまり泳げない」「ビート板使わないかもしれない」「みんなみたいに潜れない」というように、いつも不安要素が胸の中に渦巻いているらしい。
泳げない子はたくさんいるのに、いったい自分を誰と比べているのか。仲良しの子も泳げないらしいのに・・・。
今日は幼稚園まで義母の車で送ってもらったのだが、車から降りようとせず、やはり「イヤだぁーーー」と叫んで泣いて・・・。
仕方ないので、担任の先生に車まで来てもらった。
「先生と外でお話ししようか」と声をかけられ、顔は下を向いたまま、それでも自分から降りてきた。
先生はしゃがみ込んで、静かに話しかけてくれた。
優しく話す中で、「嫌いなこと苦手なことから逃げているから、弱虫の心が見える」と、娘の胸を指さした。
「まだ小さいけど、ここに黒い心があるのが、先生には見えるんだよ」と。
「見えるの?」と娘。
「嫌なことからも逃げないで頑張ると、白い心でいっぱいになるんだよ。でも、ずっと逃げてたら、心が全部真っ黒になっちゃうんだよ」
先生は、優しいけれど強い口調で、ゆっくり時間をかけて話してくれた。
娘がどれほど理解したか分からないが、娘は先生と手をつないで、歩いて幼稚園の中へと入っていった。
私は、自分の心の方が真っ黒かもしれないなと思いながら帰ってきた。
先生のように穏やかに話しかける余裕が、今の自分にはないのかもしれない。
ママになって6年目。
全然ママとしての自信なんて生まれない。
「そもそもママなんて向いていないんだよ、自分は」とも思う。
でも、ママなんだもんね、逃げられないんだもんね。
逃げたら、心が真っ黒になっちゃうもんね。
娘も頑張ってる、ママも頑張れ!!